昭和47年09月16日 朝の御理解



 御神訓 一、
 「わが子のかわいさを知りて 神の氏子を守りくださることを悟れよ。」

 わが子の可愛さを知りてと、それは子供を持って、初めて知る親の恩と言う様な事を申しますけれども。実は、子供もまた親を思うておる訳ですね、それが親子です。そこで神様のそうした切なる氏子にかけられるところの、願いというものがです。実感として分からせて頂く為に、やはり親は子を思い、子は親を思うと言う所の交流と言うか、本当に親ちゃこんなにも自分の事を思うてくれるもんだろうかという事と同時に、親もまた子供という者は、親の事をこんなに思うてくれているんだと、と言うことをね。
 何かの機会に分からせてもらう。親が子を思うという様な事は、いろんな場合に出て参ります。もう実に濃厚に出てくる訳です。母性愛的なもの又は父性愛的なもの。撫で擦するような愛も、やはり親の思いであるなら、言うことを聞かんと叩いてでも分からせようとする父親の愛と言った様なもの。だからそういう中からでも、やはり分からせてもらわなきゃならん。もう子供が可愛いばっかり、子供がより立派に幸せな道を歩くようにという願いが、感じとらせてもらえる。子供も、またそう。
 だから親と子との愛情というものが、そのように切実に出てくるという事をね。ですから私は、その事だけが分かっただけではね、大した事はないのです。やはり人間ですから、それが叩く場合でも、感情で叩きよる場合があるかも知れませんし、又は撫で擦りするようでも、只人情だけでそれこそ、目の中に入れても痛くないと言った様な、愛なら愛に溺れた、愛情である様な場合もありますからね。
 けれども、何が何でも、親子の情というものが、交流し感じとらせて頂けて、そこから、子供を大事に、又は、親を大事にしなければおられないというところをです。どうでも、金光様の御信心は、一遍辿らせてもらわないと分からんのです。これは私、自分自身の事をそう思うのです。終戦、引き揚げ、そしてあぁいう難儀の中に帰らせて頂いたのですから。もう本当に、親に喜んでもらいたい。孝行したいばっかりで、北支辺り迄もやらせて頂いたのに、裸同様で引き揚げて来て、もう目も当てられないと思った。
 そこで、やはり信心がありますから、神様にその事が一心の願いであった。本当にたいした贅沢な事は申しません。例えば着る食べるといった事が、最小限度言うなら、お粥さんを頂いておるとするならば、そん時はそう思いました。お粥さんでもいいと思いましたですね。本当に心配なしに食べさせられる。親がお粥さんでも遠慮して食べないといった事でないようなおかげさえ頂きゃ、それでいいと私は思うておった。
 だからやっぱり今でも、たまに茶粥なんかを頂きます。大体は毎日頂くはずなのですけれども、お客さんがある時には普通の御飯を炊く。此の頃はもう毎日のように、そうですからお粥さんを頂く機会がない位です。けどもたまにある時など、茶粥にはお漬物がいいですから、お漬物でお茶粥さんを頂く時には、もうどんなに百味の御食の御馳走を頂く時よりも有難いですね。美味しいという事じゃないですよ有難いです。もうそれは本当にそうです。通る所を通らせて頂いておるという事は有難いと思うですね。
 私が当時福岡におりましたから、福岡からいつ帰って来るか分かりません。私はそれを知りませんでした。私は大城から歩いて帰って来るんですよね、善導寺に。一番最終になると、もう遅うなります。けれどもやっぱり、善導寺の教会に寄って、それから椛目の方へ歩いて帰って来る。それが、いつ帰るやら分からんもんですからね。ところがいつ帰っても、お丼に一杯のお粥さんとか、おじやとかですよね、その時分は。もうカボチャやら芋の茎やらを、切り込んだような御飯です。
 それが必ず取ってあるという事です。私は、不思議でたまらなかったんです。こんなに、足りないのに、かすってでも食べなならんぐらいの時に、どうして取ってあるじゃろうかと思いよって、後から。妹から聞かせて頂いて、婆ちゃんはね、大城の電車は、椛目まで聞こえるのです。夜中になると通るとチンと言う電車の音が。最後の電車が通らなければ、夕御飯を食べなかったという事です。もうあの人がどんなにお腹減らして帰って来るか分からんから、あの人の為にと言うて、母は取ってくれておった。
 それで私が帰って来て、頂いた時には、だから、ひもじいなりに休んでおったという事が分かるでしょう。まぁ親ちゃ、こんなものかと、感じずにはおられませんでした。又は、私も、そうでした。やはり親の事を思うと、本当に卵一つでも持って帰りたいという、その気持ちでしたから、その親と子どもとの仲に、いよいよ本当な、蜜なる交流と言うかね。親の事を子が思い、子の事を親が思い。だから、親孝行をしたいが、一心であり、一念で、私の信心は本当の姿勢がとられたと言うてもいいです。
 ですからここで初心の方に必ず言うことですよ。親に不幸したい不幸せにゃんという者はおらん。孝行したいと思うとる。けれども実際は孝行が出来ない。だからひとつ本気で、親に孝行したいという一念を燃やしなさいと、申します事です。そこから神様と交流する何ものかを感じるからです。そいう信心をさせて頂いておるうちにですよ。これは肉親の親よりももっと有難いもっと尊い親がある事に、気付かせて頂いてもう教会中心という事になったんです。私の場合所謂親先生、所謂親先生御夫妻です。
 だから親先生が仰る事は、神様が仰る事だと言う様な頂き方も、また出来た訳です。また私の事を、親先生御夫妻は本当にしら真剣に、祈っておって下さった事も事実です。それは交流しておりました。それを感じておりました。そしてその信心がいよいよ高度なものにですかね。教会を中心とする信心が、高度なものになって参りますに従ってです。御本部へ月参りが始まるようになりまして、もっと上の親いやもっと上の親と言う所に行き着いたのが、いわゆる天地金乃神様だっんです。
 毎日唱えておるんですよ、生神金光大神天地金乃神様と。けれどもやはりここでは、悟れとおっしゃるのですから。ですから親が子を思う、子が親を思うという、その実がです。本当に、親を大事にしなければおられない。また親も子を大事にしなければおられないというのが、何かの機会に表れて、それを感じとらせて頂いて、その思いが、そのまま親先生御夫妻に移行して行く訳ですね。移って行くそして段々わが子の可愛いさを知りて、神の氏子を守り下さる事を悟れというものが。
 実感として祈れる、いや拝めれるようになってきた。そこでその天地金乃神様の本気で手にもならせて貰おう足にもならせて頂こう。大体天地金乃神様、親神様と言う方は、どういう願いを持ってお出でられるかという事に、非常に強い思いがかけられるようになった訳です。本当に親に喜んでもらいたい為には、親が例えば背中が痒いと言よるならば、背中を掻く事。前の方が痒いと思いよるなら、前の方を掻いてあげる事、擦ってあげる事、それでしょう。それに前の方が痒いかと言よるとに後の方どん掻く。
 後の方が痒かと言よるとに、前ども掻くもんじゃけん。そこじゃなかがと言うて返って歯痒い思いをさせる様な事になる。だから信心の焦点というものを、間違えると、そういう事になるのですよ、いくら熱心であっても。いくら何十年参りよると言うてもです。焦点を間違えたらです。そういう事になる。一生懸命参って来るけん、おかげは頂こうばってん。本当の、信心な分からん。本当の信心の光と言うか、力と言うかね。いわゆる御徳を受けるという事にならんのです。
 そこで神様の願いとは、神様の願いとはと思いながら、いろいろ修行させて頂いておったのが、何も分からんなりに、自然に起きてくる問題は、全部それを有難く合掌して受けますと言う。そういう修行でもさせて頂いて、分かろうと思うたところが、実際は、その事自体が、神の願いであったという事に、気付かせて頂いた。これがそもそも合楽で成り行きを大切にという事は、そこから出たんです。ただただの修行にすぎなかったんですよね、実際は。受ける事を修行とさせて貰うという事だったです。
 それが天地金乃神様の願いであり、悲願とまで、感ずるようになったんです。そこから生れてくる体験、いわゆる実証されてくるところのおかげというものから、いよいよその事を、御事柄として、受けなければならないという事になって来た。同時にそういう、御事柄として、受けていく事の信心修行、そこから生れてくるところのおかげの実証というものがです。そういう心で、何を願うようになったかと言うと、現在の和賀心時代を、いよいよ願わせてもらい。
 それに貢献させてもらう。奉賛させて貰おうという事になり。神様の一番の願いは世界中に和賀心時代を広めるという事。そこに難儀な氏子の助かり、又は氏子の幸せというものがある。それが天地金乃神の一番の願いであるという風に、段々分かってきた。一番初め、親に孝行したくてたまらんというところから生れてきたんです。だから親が私を思うてくれる事を悟ってという事は、なかなか知る事は出来ます。親が私の事を思うとる事を。それをしかし身も心からも、感じさせて頂けれるのにはです。
 本気で親は親たらずとも、子は子たれという、行き方にならなけりゃいけんです。先日から、久富勇さん所の謝恩祭の時に、お話した事ですけれども。合楽にお参りしておるので、一番難儀の峠というのは、久富さん達御夫婦じゃろうと。御承知のように、体はあんなに、お百姓さんですけれども、全然体が言う事きかない。座る事すら出来ない。奥さんは、いつもこうして胃を押さえてから何時、胃がせき出すやら分からんと言った様な状態。ようやく長男の正義さんが、今年浮羽工高を最高で出ました。
 そして、もう本当に最高の所に就職のおかげを頂きました。まあだその会社の学校に行っとる位ですから、たいした事は出来んのですけれども。子供が親を思う切実さというものがね、いつの手紙の中にでも、送金の中にでも感じられるんです。宅祭りの事を一生懸命お願いしておおられましたが、丁度宅祭りの朝、お金が着いた。これはお父さんお母さん、これは宅祭りの為のお金だと言うて、送ってたという。もう私は本当に、涙がこぼれたそのお届けを聞いた時に。
 本当に家貧しゅうして孝子が出ると言うが、ほんなこつのち私は申しました。国乱れて、忠臣が現れる。家が貧しゅうて孝子が出るという。本当にそうだという事は大体はあるのだという事。私共でもそうです。引き揚げて帰って来た。家はジャンジャンしとったというなら。恐らくあんな情は親にも子にも湧かなかったと思うですね。ですから私が体験者として語る事は、天地金乃神様の本当の心情を分からせて頂く為には、如何に親孝行しなければならないかという事が分かるでしょう。
 そうせにゃ分からん。それが段々もっと尊い親、もっと有り難い親いやいよいよぎりぎりの天地の親というところ迄行ったんですから、私の場合は。初めは只この親に孝行したいばっかり。普通並みの生活を親にさせられるようになって、そして親が死んだならば、その明くる日から、又元の木阿弥になってもかんまんと、自分で思いもし祈りもしました位でしたよ。もう見ちゃおられなかった訳です。自分の難儀は別ですけれども。親達までも、一緒に難儀をするという事が。
 やはり家貧しゅうして、お互いにその心はあるのだけれども。そういう切実なものが、いよいよ、貧のどん底という時に、出てくる訳です。親も本当なものが出てくる。子も、本当なものが出てくる。昨日綾部さんがお話しておられました日田の。先日から旅行をされた。いろいろな難儀にぶつかられると、一生懸命こうやって目つぶってから、御祈念をしておられる風である。それで横の人が綾部さんは、どうしょんなさるとじゃろうかと言うちから、一緒に旅行しとりました絹子さんが言われるんです。
 「私が事ばお願いしよんなさるとですよ」ち言うた。もう事実その通りなんです。娘にどういうこうせんのあぁせんのじゃなくて、ただ娘の幸せを願う母親が、もういつの場合でも、瞑目してから祈るという事。それが子供に、ちゃんと伝わっておる。言う事聞かんでちゃ、親はこげん親の事を思うてくれておると思うておるということなんです。そんなら娘の絹子さんが、親の事を思わんかと言うと、如何にも思いよらんごとあるけれども、いよいよの時になると、思うから不思議ですそれが親子なんです。
 昨年の暮れにものが出られん様になりましたよね。一番酒屋さんが忙しいという時にそん時に、一番初めにお願いにみえたのが絹子さんでした。言うなら親の言う事には背いてばっかりおる時代だけれども。親の言う事を聞きますから、どうぞお母さんがおかげ頂きますように。もうそれこそ一生懸命涙ながらのお願いはそれでした。だから実際はあるとです、お互いの心の中に。それからと言うてそんなら貧乏に落ちてしまわなければ出らんという様な事じゃなくて、それが教えなんです。
 そこでです本気で親の事を思い、子の事を思いという、その交流が出来る位にです。それを表わしていく事が信心だということ。そこからです次の親を悟る事が出来る。又もっと尊い親を知る事が出来る。それが初めて身をもって悟らせて貰うという事になるのじゃないでしょうか。昨日十五日は敬老の日ですかね、年寄りの日でした。私は今朝見せて頂いたんですけれども。祝電が来てる。竹内先生夫妻からです。
 「年寄りの日に当たり、御長寿をお祝い申し上げますと共に、いつ迄もお揃いでお元気にお過ごしの事をお祈り申し上げます」。通教、いつ子とあります。私は行き届くという事には、合楽の第一人者だと思うのですけれどね。只これは行き届いただけじゃないです。それはね私を親先生とこう思うておるからですよ。例えば私が善導寺の親先生御夫妻を、もう本当に神様として頂けた時代のような感じです。
 その親先生が大事にしておられる御両親の敬老の日に、お祝いの言葉の一つも申し上げなければおられないのが、こういう電文になって表れてくるのじゃないでしょうか。皆さんも御承知のように、本当にこの位素晴らしい、親を大事になさる方は、もうしすぎんなさる位に、夫婦で大事になさいますねあちらは。お婆ちゃま自身がまた親を大事になさいますもん。あちらにお参りなさった方は、御承知でしょうけれども。神様がお祭りしてある、霊神様がお祭りしてある。大きなお社です。
 その横に紫壇の台の上に、こんな厚い座布団が敷いてございます。小さいこのくらいの。その座布団の上に私の写真がこうやって、額に入れて飾ってあります。飾ってある所は、沢山あるけれども、毎日お茶を頂かれる前に、お茶初穂がお供えしてある。親先生がお茶がお好きだからという訳なんです。お婆ちゃん自身がね、親を大事にするから、子がまた、親を大事にするのは当たり前。自分が親を大事に扱わずしといてから、子供にだけ、親を大事にせにゃいかんばいち教えたっちゃ、するはずがないです。
 そうでしょうが。親を大事にするという事。勿論ここではわが子の可愛さを知りてとおっしゃるけれども、親の大事にさせてもらうと。肉親の親からそれを感じとらせて頂けると。そんなら、それは誰しもね、実際親子である以上は、絶対心というものは、両方にあるんだという事です。それは特別例外というのはありますよね。これはもう気が狂ってるとしか言われない場合もありますよ。
 自分の子供をわざと交通事故に合わせてから、金を取ったという様な親があるという話を聞いたんですけどね先日。これはもう例外です。もうそれこそ犬畜生にも劣り果てた、もう人間じゃないです。ですから本当の人間なら絶対、親子の情というものはあるんです。親が子の事を祈る。子供がまた親の事を祈る。いつも祈っているのだけれども、それが平穏無事だとか私が今言う、絹子さんとお母さんの場合じゃないけれども、出て来ない訳なんです。いよいよそんなら親が、という事になったら。
 もうそれこそ親の言う事なら、どげなこつでん聞くけん、どうぞお助け下さいと言うて、お取次を願うというようなものがあると、お互いには。ですからです、そういうものが出てくるおかげを頂く為にです。一つ本気で親孝行する修行せにゃいかん。そこからね天地の親神様の思いというものも、こんなであろう。親が子を思う、子が親を思う。いわゆる親の事は子が願い、子の事は親が願い頼み合い致せというものが生れてくる。いわゆる本当の頼み合いになってくる訳です。
 ただ言葉とか、観念的なものであっては、さらさらいけない。勿論信心はそうです、実感。だから本当にこの親に喜んでもらわなければ、親孝行させてもらわなければおられん。うんにゃ、家の親がまちっと子供の言う事聞くなら、親孝行するばってんが、しょうと思いよったっちゃしょうごとなかち、言うごたるような人がありますよね。特にこれが肉親の親でなくて、姑親といった様な時になってくるとそうです。子供もやはり嫁でもやはり娘になったからには娘、それを反対の方に言うても同じこと。
 親と呼ぶからには姑親でも親は親。そこでです大事にしょうごとないようなものを、相手が持っておってもです。そこんところが親は親たらずともという事なんです。だからそこんところを、私は修行と思うて本気で、親を大事にさせて頂く働きを、繰り返し繰り返しさせてもらいよるとです。こういう素晴らしいお爺ちゃんを、どうしてあげんお粗末な思い方をしとったじゃろうかと思うようになってくるです。
 だから親と子という場合は、当然の事ですけれども。そんなら姑親なんかという場合には、それが一生形式だけで終るという親子がありますよ。そんな事ではです。本当に相すまん事だし馬鹿らしいです。本当に親と呼ばれ子と呼ばれる事になったのですから。本気でその親に尽くさせてもらう。もう尽くそうごとなかったっちゃそれを修行と思うて、尽くさせて頂いておるうちにです。
 本当のものが交流するようになる。そこからです初めて神の氏子をお守り下さる事を分からせてもらう時、初めて神の大恩が分かったということになるのです。神の大恩を知らぬから、互い違いになるとか、神のおかげを知らんから、本当の家繁盛にならないという、御理解がありますように。神の大恩が分からせて貰うところから、いよいよ神恩報謝の、本当の意味に於ての生活が出来る。その喜びの生活におかげが頂けんはずは、勿論ありませんよね。
   どうぞ。